一級建築士事務所 田野
建築設計室

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オープンハウス


少し前ですが。

島田陽さんのオープンハウスを見に行く。
平地と斜面地のある敷地で、二つの直方体のボリュームが角度を振りながら斜面地に張り出すように積み上げた構成。
二つの直方体は敷地に対してゆったりと配置されている。敷地境界線を意識した設えや、アプローチを誘導するような恣意的な構成はなく、アノニマスな斜面地に直方体をそっと置く様に建ち、自然な感覚で建物にアプローチする。ホールのような広いスペースの中央に角度を振った階段と繊細なスチール棚がある。丁寧に作りこまれているが主張しない設え。ラワン合板のトイレボックスを介して斜面方向に一室。テラスを介して広がる斜面地からの風景。階段を上がるとキッチンと風景に開いたリビング、道路側に落ち着いた和室。無理のない間取りの構成、空間のダイナミズムに頼らない自然体の建築を感じる。何か仕掛けようとする内向的な思考が暴れることなくコントロールされている。とても居心地が良い。うまく言えないが押しつけがましい意図が消されているような感覚。居心地の良さは材料の選び方やディテールにも支えられている。ラワン合板やモイス板といったドライで汎用的な材料をそのまま用いスチールサッシをはじめ、アルミチャンネルで吊られた配線ダクト、ありそうでない自在に動く使い勝手の良さそうなキッチン水栓、Lアングルの樋、引手をてれこにつけた建具、トグルスイッチ、真鍮棒で作られたトイレの鍵と紙巻器など、あらゆるものが既製品ではなく、その場に合わせて十分な機能を満たす簡素さをもって作られている。そこには、既製品がもつ恣意性や少し余計な機能やデザイン、主張する素材感に気を取られることなく、空間構成と連動するように自然体の様相が細部にまで浸透している。
図面を拝見しながらお話を伺う中で、斜面地にあって杭打機が入り込める限界の位置に杭を打ち込むことでボリューム配置が決まっていること、図式的と思われた角度を振った直方体は斜面地の先に広がる風景との対話や敷地形状から自然と生まれた形式であることが見えてきた。同時に、先ほど感じた簡素な素材やオーダーメイドのディテールや納まりとの関連性も見えてくる。無理のない自然体の構成を支えているプロセスには並々ならぬ思考と労力と時間が費やされている。目の前に見えている建築の背景には、現前している建築のさわやかな印象とは対極的に深くて複雑な物語が広がっている。改めて考えてみると設計行為とはその深くて複雑な物語の痕跡そのものであって、それが最終形に現れてくるかどうかの差なのかもしれない。汎用的な材料を素地のまま用いることには、丁寧な施工性と納まりが要求され、既製品を使うことなくオーダーメイドで作られた部品や納まりを考えて図面化し製作する方が、思考と労力がかかる。
以前、建築専門誌である住宅特集の企画で変形敷地についての記事を依頼されて座談会にも参加させていただいた。その時、登壇者のひとりであった島田さんは「設計条件と戯れる」と語られていた。敷地、施主、法規、予算、施工など設計に関わる条件は多岐にわたる。それらと敵対することなく「戯れる」ことで複雑な条件を解決していく姿勢の先に、島田さんの多種多様なそれでいて建てられたその場所で自然体に振る舞う建築の姿が広がっているように思われた。今回お話する言葉の中で、「集落」という言葉が出てきた。島田さん自身は「集落」の在り方を参照することもあるとおっしゃっていたが、「集落」とはその場所で長い時間を経て、その場所固有の建築の在り方を求めて、トライアンドエラーを繰り返してたどり着いたひとつの回答によってつくられている。たどり着くまでには、あらゆる条件―敷地、気候、慣習、歴史など複雑な条件を紐解きながら、姿、形をかえて「これしかないな」と思わせるかたちへと経ていく。島田さんの設計プロセスには、「集落」が最終形に至るまでの手続きとどこか重なるような気がする。それは、個人が生み出す思考の中でどこまでもアノニマスであろうとする姿勢であり、住宅の不動産価値を含め社会的事情の中で、いつもまにか慣習的になってしまった建築の本質とは異なる状況を嗅ぎ分けながら、その場所固有の健全で自然体の建築の在り方が周辺環境に波及して、新しい集落のかたちを示唆しているように思われた。

自然体の建築。それでいて遊び心もちりばめられた心地よい建築。
島田さん、ありがとうございました。

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