愛媛の旅 5
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愛媛の旅 5
なかなか、旅日記進みませんが…。
旅の記憶忘れないうちに。
この旅のメインにしていた外泊集落に泊まる。
外泊集落は愛媛県の最南端、西海半島に位置する。秘境感ありますが、15分ほど車を走らせば街に出ます。
内海の穏やかな港から一気に山肌を上がる傾斜地に平坦地を得るために石を積み上げた集落。穏やかに見える海からの吹き上がり風は強く、石積みは風除けを兼ねている。家々の山側にある石積みは繁栄期は段々畑が山の上の方まで続いていたとのこと。現在は木々が石積の棚畑を侵食しており、遺構の美しさを感じる。明治期の頃、平坦地をつくるために掘り上げた地中に埋まっていた石を掘り起こしながら積んだとのことだが、それだけでこの圧巻の風景がつくれたとは信じがたい。それを村人(中には名人もいたらしい)が積み上げている。野積なので時々崩れるらしいが、その度にまた村人が修繕をしていたという。
世界には、奇妙で不思議なそして圧巻の風景をつくりだす集落は数々ある。外泊集落もその成立ちを俯瞰してみると、十分その部類に入る集落と思う。ここで成立ちを振り返ると終わらないので、場所への応答、その場所に宿るためのある種敬意を払いながら狂気とも言える人間力を考えてみる。この場所に村をつくる歴史は条件として、平坦地を作ること、海風を防ぐこと、段々畑をつくることなど、この場所に住むためのやるべきことに対してこの手法がベストであったかはわからない。もっと簡単な方法があったかもしれない。ただ、どの集落も持っている「もう、これしかないな。」と思わせる風景が目の前に広がっている感覚はあるのである。何が正しくて何が最も合理的であるかは、ここでは必要ない。その場所で、その場面、その時間に、その場にいた人々が何と対峙してどう動いたが全てである。それがこの場所のスタンダードとなり、日常となる。そして、そこに掛けた人々のエネルギーがその場所にとっての必要性を感じ取りこの風景をつくりあげているように思う。側から見ると狂気に感じることは、この場所ではごくごく日常の積み重ね。集落にある石碑に「石積は人のまことの積み重ね」と記してある。まこととは、日々の積み重ねそのものである。
20年前、初めてここを訪れた時からほとんど風景が変わっていない。この風景と暮らしを維持していく苦労は相応にあると思うが、ここが秘境ではなく、街からも近いことが結果的に残っていける理由の一つのようにも思えた。